なので毎日のようなものがある

金益見(きむいっきょん)のブログです

だったんだった!

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講演風景(腕をピンと伸ばしていますね)

今年は去年の倍くらい人権に関する講演依頼(題して「まきずし大作戦」!!)があって、夏休み中も主に高校生、教員、PTAの方々など、あちこちで在日やヘイトスピーチに関する話をしている。

 

講演の冒頭で、私はよくこんな挨拶をする。

 

「今みなさんが見ている私はメディアに四角く切り取られていない私です(新聞でもネットでもテレビでも、私たちが情報を得るメディアは、全部四角形だ)。

私が死んでも、本や動画で私の過去は見れますが、今この瞬間、生きてる状態でみなさんと会えるのは今だけです。

 

私は今、生きています。

そしてみなさんも今、生きています。

私たちは友達ではないし、この先会う約束もしていません。

もしみなさんが大学に進学したら、そこで会えるかもしれませんが、それもわかりません。

 

たったひとつ言えることは、今、ここに、生きてる私と生きてるみなさんがいること。

もう一生会えないかもしれないこと。

でも今から講演をする1時間は、おそらく同じ時間を過ごせるということ。

 

だから、多少熱苦しいかもしれないけど、今から1時間は一生に一回きりだと思って、大切なことしか話しません。

くだらない話もキライではないのですが、今日は大切にしたいこと、伝えたいことだけを全力でお話します。

よろしくお願いします!」

 

アンニュイさが1ミリもない無粋な挨拶だけど、全力で最善を尽くせるように、自分にプレッシャーをかけるための挨拶でもある。

 

 

でも、今日電車に揺られながら好きなひとたちのことを考えていて、ふと気付いた。

 

「あの時のあの人とはもう二度と会うことができないんだ」

 

それが親子でも、恋人でも、学生でも、その時のその人とはもう二度と会えない。

 

母と喫茶店に行って、ストローの包み紙をくしゅっとしたものに水をかけて「ママ!毛虫みたいに動くねんで!お姉ちゃんが発見してん!」と自慢していた時間はもう二度と戻ってこない(そしていつも母から「天才ね!」というコメントをもらっていた)。

 

知り合いから特別な存在になっていく期間のあの人との時間も、表情も、その時しか味わえない。

 

最初に出会った頃のピカピカの新入生だったゼミ生(こんちゃん)はもう4回生。私はゼミ生と一生付き合うつもりなので、来年春から銀行員になる彼女とはこれから会えるかもしれないけど、18歳の彼女とはもう二度と会えない。

 

何度も会える関係性であっても、生きているその時の私と、生きているその時のその人が会えるのは、その時が最後なんだ。

 

そう思うと、ほんとう毎日が特別だ。

誰かと一緒に過ごす毎日だけじゃない。

今の私に、私が会えるのも今日だけだ。

 

私は今生きている。

生きているということは、変化するということ。

毎日変わる。

一秒後も、今晩も、明日も、一年後も真っ白で真っ新だ。

それはとても怖い気がするけど、わくわくすることでもある。

そういえば、小さい頃は「怖い」と「わくわく」は同義語だったんだった。

 

だったんだった!