いつか、またどこかで会おうよ

こんにちは、金益見(きむいっきょん)です。

愛する妻がいる夫のひとたちへ

妻にとても心配されていたとする。

しかし、すぐに会える状況ではなかったとする。

 

こっちの状況はあっちには見えておらず、心配はつのると苛立ちに変わり、苛立ちは沸点を超えると怒りに変わる。

 

「心を配る」と書いて心配。

最初は相手を想う気持ちからスタートしたはずなのに、配った心は浮遊して、心が落ち着かない状態が続くと、心配が「夫への怒り」に変わってしまう。

 

 

「電話一本くらい」

入れられない時って結構ある。

入れられるけど、余裕のない時はそれどころじゃなかったりする。

 

でも、愛するということは、どんな時でも相手を気遣うということであり、やっぱり電話一本くらいは入れるべきなのだ。

 

ここで開き直って、「俺は働いてるんだぞ」(その後「俺の稼ぎがあるからお前らがこうして…云々」と続く)と言うのはサイテーだ。

そんなこと、妻は最初からわかっている。

 

愛するということは、どんな時でも相手を気遣うということ。

愛し続ける覚悟を持って結婚したのなら、言い訳している時間をすべて謝罪か労わりか早めの帰宅にあてたほうがいい。

めんどくさいけど、心配させてしまった自分が悪いのだ。


例えば、めんどくさいことの骨頂をいくつか挙げると、

「過去の浮気をいちいち持ち出して責めてくる妻にどんな時でもとことん謝り続ける」

「鬼のような形相で待っていることが容易に予測できるけど、花でも買って帰る」

「お酒やおネエちゃんに逃げずに、お腹をすかせた状態で帰宅ラッシュに耐えながらとにかく早く帰る」etc…

 

うえー。

しんどっ!

めんどくさっ!

 

でも、そのめんどくさくて疲れることを、続ける。

 

ひとりの人間に向き合う。 

とことん。

逃げない。

 

自分のドアは全開にして、相手の心のドアをノックする。

ドアをバタンッと閉められても、ノックする。

執拗にドアを叩くのではなく、あくまでノック。

ちょろっとでも顔を出してくれたら、謝る。

花を渡す(アイスでもいい)(ハーゲンダッツあいすまんじゅうがいいと思う)。

 

それはこの上なくめんどくさいことだけど、続ける。

 

ゆうとくけど、この上なくってことは、この上はないのだ。

とことん向き合うということは、ものすっごいめんどくさいし疲れることなのだ。


親が赤ちゃんにたいしてやってることが、それに似てる。

夜中二時間おきに起こされる。

目を離した隙に死んでしまう可能性があるから、常に細心の注意を払わなければならない。

 

めんどくさいし、相当疲れる。

 

でも、あなたが今生きてるのは、それを親がやってくれたからだ。

 

愛する妻がいるすべての夫のひとへ。

もう既に親からもらってるんだから、これからはそれを返していこう。

 

妻がゴキゲンってだけで、この世にひかりがさしたみたいになるでしょう?

それって多分、ほんとうにそうなんだと思う。

 

妻に毎日笑顔でいてもらおう。

すると、この世にひかりがさす。

 

 

 

まあ、私は夫になったことがないから、知らんけどな。

 

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