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いつか、またどこかで会おうよ

こんにちは、金益見(きむいっきょん)です。

アウシュヴィッツに行ってきた

アウシュヴィッツに行ってきた。

 

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写真は、第二強制収容所(ビルケナウ)の地面(すぐ隣にホロコーストが行われたガス室)。

いろんな足跡が沢山あったので、写真を撮った。

今、世界中の人々がここを訪れていることは、とても意味のあることだと思った。

 

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下記のblogに中谷さんの説明の概要が詳しく載ってるので、今回のブログと合わせて読むとわかりやすいと思います↓

konbu-bu.com

 

以下は、ガイドの中谷剛さんに教えていただいたことや、考えたこと、感じたことをメモしたもの。

(文章にするとかなり長くなってしまいそうなので、今回は箇条書きにします)

 

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・第一強制収容所の入り口ゲートには、「働けば自由になる(労働は自由を作る)」という言葉が掲げられていた。

 

・この日は、ダビデの星の旗を掲げたユダヤの人たちが沢山来ていた。彼らと私では、ここに来る意識が全然違うんだろう。

 
・過去にここに連れてこられたひと、連れてきたひと、現在ここを案内するひと、見学してるひと、ひとによって写真に収める場所や、ズームする場所が違う。

 

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男女を隔てていた有刺鉄線

 

・写真や映像でわかることも勿論あるけれど、現場にいくと「雰囲気」がわかる。

雰囲気って、目や耳だけじゃなく、身体をそこに置くから感じられるもの。

 

・大量の靴や刈られた毛髪。数字でみるのと、そのものを見る時の感覚のちがいを記憶しておかなければ。

数字はあまりにも便利で、物事を明確にするけど、時にリアルを見えなくもする。

 

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 おびただしい数の靴

 

・書類が重なって、サインが増えると、責任があやふやになっていく。

 

・「私は知らなかった」と言える状況をみんなで作った。

 

・根拠がはっきりしないことを続けていくと、分岐点がわからなくなる。

 

・収容されてきた子どもたちが誰一人泣いてなかったのは、完全に余裕を失った親を察したんじゃないかと、中谷さん。

 

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・続けて中谷さんによると、そこまで必要だとは思えない鍋や食器類をここまで持ってきたのは、親が子どもに「これは単なる移動なんだ」と安心させるためだったのかも知れないとのこと。

 

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・人と人とを分断することが制度化された時に、人は人ではなくなる。

 

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・収容されたひと達のなかで、上下や優劣が生まれ、ナチスが手を加えなくても、ユダヤ人同士で監視と管理の体制が整っていたという皮肉な話。

上の二枚の絵は、奇跡的に生還した方が当時の様子を描いたもの。

 

ユダヤアイデンティティは宗教。

ジプシーのアイデンティティは言葉。

では、日本人のアイデンティティは?

小国から鎖国アイヌ琉球王国、日本人はいつから日本人なんだろう?

 

・先進国病

大衆迎合主義

 

・私たちの内側に知らず知らずのうちに埋められてるもの。

 

・当時の流れはヘイトスピーチからヘイトクライムへ、そしてホロコーストにつながっていった。

 

・日本は今どこにいるんだろう。

 

ユダヤのひとたちは傷つきすぎてる。

あまりにも長く戦い続けて、戦う仕組みが出来てしまっている。

だから、私たちの方から「安心」をあげることが第一歩。

 

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空も建物も多分その時と同じ

 

・ポプラの木も、煉瓦の建物も、人間たちの営みをずっとみてきたんだろう。

その時のひと達が見ていた空もきっと同じ。

 

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私が希望だと思ったのは、何かを知るために何かを感じるために、そして祈るために、沢山のひと達がこの地を訪れていたこと。


大学生もいっぱいいた。

 (大学生もいっぱいいたんだよ!!と今朝の私に報告したい)

アウシュヴィッツを知らない学生 - いつか、またどこかで会おうよ

 

 

中谷さんによると、2000年以降、ヨーロッパの人たちに限定すると、年間でここを訪れるひとの75%が15〜25歳なんだとか。

 

勿論そこには経済的な関係もあるけれど、教育の賜物だという。

 

夏休みや春休みは、日本の大学生も沢山見学に来るのだそう。

その日も、中谷さんに案内を申し込んだ日本人の見学者のうち、8割が大学生だった。

 

 中谷さんは、彼らにこう言った。

 

「君たちも色々忙しいんだと思う。でもお金や時間を使ってここまで来てくれた。

自分のことを考えるのは悪いことじゃない。

でも君たちのように、自分のことを考えながら、もう少しその先を考えられるひとが増えるとそれが平和につながる」

 

中谷さんは、歴史を説明する時に、ヒトラーだけを悪者にしなかった。

ヒトラーを支持した大衆がいることを何度も指摘されていた。

そして、世界の、ヨーロッパの、日本の、「今」に、今日みた歴史が繋がってることを、私たちに自分で考える余地を残しながら説明してくれた。

 

学生さんは、「日本に帰ったら、もう少し政治に関心を持って、選挙に行きます!」と言っていた。

 

私は自分が在日コリアンであることや、選挙権を持っていないことを話した。

すると中谷さんに、

「あなたにはあなただからできることがあると思うんです。あなたにしか感じられないこと、気づけないことがあるから」

という言葉をギフトしてもらった。

 

ひとまず、その時の私がすぐにできることを思いついたので、次の日早速行動してみた。

 

それは次に更新するので、お楽しみに!

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