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いつか、またどこかで会おうよ

こんにちは、金益見(きむいっきょん)です。

見事な問題意識!

以下は、「見事な問題意識!」だと思った文章↓

 

親戚で集まると、必ず台所に女性達が集まる。男性陣は円卓を囲み、酒をかっ喰らい、ガハガハ笑うだけ。男性達の小間使いになる事だけはしたくないが、女性達をこき使う暴力に加担したくもない。幼い頃からこの葛藤に苦しめられてきたが、今ではその解決策がすっかり分かっている。「地元に戻らない」だ。

 

台所に行き、女性達と話をするのは随分楽しかったが、男性達が思い思いに寛いでいる中、立ち仕事をしなければならない事に対する鬱屈した不満を上回りはしなかった。また、円卓に残ってみても、なぜ母叔母妻娘をこき使っているのに平気な顔ができるのか理解できず、強烈な違和感に意識が朦朧とした。

 

まだ幼い頃は、何とも思っていなかったが、高校生になった辺りで状況が変わった。「ちょっと」と台所に呼ばれ、有無を言わさず働かされた。感謝の言葉一つもない男性達に不満を覚えたその時、自分もそれまで感謝を口にしていなかった事に気が付いた。抑圧者は、見えないからこそ抑圧できる事を知った。

 

問題が見えない、見えても不満がないという意見は、問題の存在自体を否定できるものでは到底ない。見えないのではなく本当は見る気がないのではないか、不満がないのではなく、本当は不満を抱く事が出来ない様巧妙に「そういうものだから~」に雁字搦めにされ、思考の自由を奪われているのではないか。

 

ツイッターでたまたま見つけた文章なので、直接の知り合いではないけれど、書いたのは多分女性だと思う。

この文章は 、一見ジェンダー問題について書いているように見えるけど、家制度や過疎化する地方、無自覚の病、思考停止の危険性などあらゆる問題意識がつまってる。

 

読んだとき、私は、ある過去の出来事を思い出した。

 

昔、当時の彼氏と彼の後輩の実家に遊びに行った時のこと。

夕飯をご馳走になったのだけど、お母さんがひとりでずっと台所に立ってて、私は息子(私にとっては彼の後輩)に「お母さんひとりに家事をやらせるな」と注意した。

 

数年後、その後輩から彼を通じて「あの時注意してもらってよかった」という伝言をもらった。

後輩のお母さんはその後、癌を患ったらしく、母のありがたみがやっとわかったとかなんとか。

その伝言を聞いた時、私は何か引っかかった。

「なんで癌にならなわからんねん!」とまず思ったし、なんか「今になってわかった母のありがたみ」的な言い回しも気に入らなかったし(この世に、あたり前のことなんかひとつもない)、なんで何かが引っかかってるんだろうと考えた結果、思い出した。当時の私が、彼の後輩だけでなく、彼の後輩のお母さんにも疑問を感じていたことを。

 

「全部ひとりで切り盛りしてる」というより、「全部ひとりで抱え込んでる」ようにみえた母親という存在のひとに、私は言いたいことがあった。

 

 なぜ息子に注意しないのですか?

なぜ私が注意した時、「もうそれくらいでいいですから」と言いながらも嬉しそうな顔をしたのですか?

もし私が「息子の先輩の彼女」という立場ではなく、「息子の彼女」なら私の注意をどう受け止めましたか?

 

彼の後輩のお母さんは、私が後片付けをやろうとすると、最初は「お客さんだから」と断っていたのだけど、最後には「助かるー!」と言って手伝わせてくれた。

でも私の彼には「座っててください」の連続で、彼がお茶碗かなにかをひとつ運んだだけでお礼の嵐だった。

 

 優しくて朗らかでいつだってニコニコしていたお母さん。

 

私は本当は、注意なんかしたくなかったんですよ。

 

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