いつか、またどこかで会おうよ

こんにちは、金益見(きむいっきょん)です。

百貨店とスニーカーと私

スニーカーが欲しくて百貨店へ。

 

今まで運動靴を買うために百貨店へ行ったことは一度もなかった。

学生時代からスニーカーはひとつのメーカーに決めているので、その必要もなかった。

今回は特別で、春の旅のお供をしてくれるスペシャルなスニーカーが欲しかったのだ。

 

カジュアルすぎなくてキレイめの格好にも合う、少しヒールのあるスニーカー。

軽くて、長時間歩いても疲れなくて、足の甲が高い私にぴったりのハンサムな靴に出逢いたい!

 

靴売り場の店員さんにそのようなことを告げると、タイミングが悪かったのか、かなり失礼な接客をされて気持ちがしぼんでしまった。

その店員さんはオシャレなひとだったので、私の格好や要望が変だったのかと思わず自分を疑ってしまった(今考えると、それってとても自分が可哀想だ)。

その店員さんに、「そのような靴はこちらにはございませんので」と追い返され、別のブースへ。

 

でも、そこで対応してくれた店員さんが素晴らしく、アレやコレや迷った結果、理想のスニーカーに巡り逢えた。

 

お会計の時に、

「色々迷ってすみませんでした。でも、理想的な靴に出会えてうれしいです。丁寧に接客していただいてありがとうございました」とお礼を言うと、

「いえいえ、こちらこそ喜んでいただいた光栄です。いい旅を!」

とその店員さんは笑顔で対応してくれた。

 

実は私はその店員さんに、「さっきの店員さんがいかに失礼で、それに比べてあなたの接客のなんと素晴らしいことか!」ということを何度か言いかけた。

 

でも言わなかった。

 

なぜなら、その人を肯定するためにほかの人を否定したくなかったからだ。

 

例えば、

あの子より君の方が気が利く

とか

大阪より神戸の方がオシャレなひとが多いですよねー

とか

韓国人より日本人の方がどうのこうの

とか…

 

これって、肯定のための区別が差別になってしまってる。

だから、もし自分がそのようなことを言いたくなった時には、注意深く発言しようと思っていた。

 

人が地域に、地域が国に、比べる単位が大きくなればなるほど、意見はとても大雑把になる。

そして、本来何かを肯定するためだったはずの意見が攻撃に変わったりする。

 

いいものやいい人を肯定する時に、なんで誰かや何かと比べる必要があるんだろう。

そんなことしなくても、言葉を尽くせばちゃんと伝わるのに。

 

…と、いうわけで…

 

ナイス接客!の店員さんに、私はさっきの店員さんのことを言わなかった。

 

ちなみに、本文と全然関係ないけど、「というわけで」という名前のホテルが京都にあります。

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