なので毎日のようなものがある

金益見(きむいっきょん)のブログです

高級な批判力

「人を褒める時は、その人の一部だけ見て褒めてもいいけど、批判する時は一部だけ見て批判してはいけないと思うの」

 

と、昨日母が電話で言ってた。

そのとおりだよなぁ…と思った。

 

否定と批判は違うということを前提に、批判について先人に教えてもらったことを。

 

この世には「高級な批判」というものがある(そうだ)。

 

学会の批判的なツッコミが苦手で、それを友人の研究者に愚痴っていたら、彼女が内田義彦さんの本をプレゼントしてくれた。

 

そこに書かれてあったことが以下です。

 

よくあの人は批判能力が勝(すぐ)れているといいますけれども、つまらない面、―― あそこは間違っているとか、下らないとかいった消極的な面を発見する能力を指していう場合が多いようです。これももちろん批判ですが、私はこれを低級の批判力と名づけています。本当の批判力とは、俗眼に見えない宝を―― 未だ宝と見られていない宝を、宝として―― 発見する能力です。ポジティヴにものを見る眼ですね。(中略)
何か、学問であれ仕事であれ何か事を成したひとは、そういう眼をもっているんですね。俗眼が見逃しているような、見逃して絶望だ絶望だといっているような勝ち手を発見する。要するに思わざるところに存在している思わざる宝を発見する。これが高級な批判力です。
 
内田義彦『読書と社会科学』 岩波書店(1985)74〜75頁

 

友人がくれた内田さんのこの本が大好きで、何度も読み返しているけど、特にこのくだりに心震える。

 

そして思う。

 

丁寧に冷静に人や論文と向き合う。
先を照らすように、紡ぐように、言葉を重ねる。

そうすることでやっと生み出せる高級な批判力を私も身につけたい。

 

そうして思わざるところに、その人の宝を発見して、その人にその宝をプレゼントしたい。

 

選び抜いた宝がその人出身だなんて、素敵すぎると思いませんか?

 

 

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ふしぎなポケット

好きだったひとの言動どころか、つぶやきさえ見れてしまう、この現代のシステム(発展?)がいいのか悪いのかよくわからない。

 

タイミングによっては、それって毒にも薬にもなる。
前にも書いたけど、毒も薬も身体にはきっとよくない。

 

ネット上の情報は、先入観が入りやすいし、知ってる人に関しては、見ているこちら側の状況によって、読み方が変わってしまう。

 

「検索しない」っていう、自制心に頼る方法は10キロ減のダイエットごとくハードルが高い。
だって、スマホを持ち歩いてるってことは、ポケットの中に増え続けるビスケットがあるってことと同じだ。

いつだって食べ放題!

 

◾️◾️◾️

ポケットの なかには
ビスケットが ひとつ
ポケットを たたくと
ビスケットは ふたつ

もひとつ たたくと
ビスケットは みっつ
たたいて みるたび
ビスケットは ふえる

そんな ふしぎな
ポケットが ほしい
そんな ふしぎな
ポケットが ほしい

 

まどみちお「ふしぎなポケット」より
◾️◾️◾️

 

私は頭に余計なことをいれたくないのに、ふしぎなポケットを持たざるをえん状況だ。


そこで発見した、いい方法が〝高速スクロール〟。

 

意識的にテキストを読み飛ばす。

内容ではなく、
「今日も元気に暮らしてくれてありがとう」
と思うことに終始して読み飛ばす。

高速に。
高速に。

 

2017年に私は生きてる。

過去を見つめすぎたり、今を嘆くのではなく、これからに繋げる思想と思考を己に今。

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荒技ですが

今日は朝から夕方まで卒研発表会。

そして今からゼミ飲み会なので、ブログをゆっくり更新できない!

 

したがってこういう時に使おうとあたためておいた写真を。

 

 

スヌーピーのお兄さんを紹介します。

 

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スヌーピーも色々あったみたい。

 

 

 

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日常に溢れるセクシー

改札機にICカードをタッチすると、

 

「もう一度触れ直してください」

 

と言われた。

なんかセクシー!

 

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問題にぶつかった時の解決方法

昨日、ある問題にぶつかって、とても落ち込んだ。

 

何をどうすれば、解決できるのかわからなくて、深くて暗い森に迷い込んだ。

 

◾️◾️◾️ 

今夜は動かずに夜が明けるまでじっとしてるか、闇雲でもいいから先に進むか迷って、ひとまず進んでみた。

 

さすが闇雲!
全然どこにも辿り着けない。

 

ヘトヘトになって、来た道を引き返そうとしたら、道中で親切なひとに出会った。

 

その人は懐中電灯のようなものを貸してくれて、先に進むならどこに光をあてて進んでいけばいいか教えてくれた。

 

私はまた歩き出した。

次は闇雲ではなく、ひとつひとつの闇を小さな灯りで照らしながら。

 

そうすると、出口が見えてきた。

◾️◾️◾️

 

深くて暗い森を抜けるまでの道中は、冒頭に書いた問題を解決するまでの過程の比喩。

 

今回、問題にぶつかってわかったことは、絡まった糸を丁寧にほぐしていくような作業が、実はとっても大切なんだということ。


大きな問題って、複数の事情が絡まりあっていることが多い。

だから、大雑把に捉えて、むやみやたらに嘆いているだけでは、なんの解決にもならない。

どうしようもない時間が長く続くと、やる気や元気が奪われて、しまいに立ち上がれなくなる。

 

ひとまず、問題を分けて考えてみる。

 

そして、ひとつひとつの問題にたいして、小さな答えを出していく。

 

それは、大正解じゃなくてもいいし、今のところの答えでもいい。

 

また、問題について考える時には、誰かのせいにしないということも大切。

そうすると、その「誰か」が改心したり、改善してくれないと解決しない。

 

前にも書いたけど、人は動かせないので、「誰か」が変わるのを待つだけなんて、いつまでかかるかわからない。

 

だから、自分に何が足りなかったのかを考える。
でも、自分のせいにしすぎるのもよくないから、否定ではなく、批判的かつ客観的に自分を見つめてみる。

 

すると、今すぐに自分にできることがいくつか見つかる(行動までいかなくても、心の持ちようとか)。
それをやってみると、解決に近づいていけるので、少しずつ楽になってくる。

 

昨日は、帰り道でたまたま一緒に考えてくれるひとに会えたので、かなり短時間で問題を整理できた。

ひとりだったら、二週間くらい寝れない日が続いたんじゃないかと思う。
ほんと、ありがたかった。

 

扱う問題が変わってもこの方法はきっと有効だから、忘れないように。
そして、これからも自分のカッコ悪いところに蓋をしないように。

私よ、丁寧に進んでいきましょうね。

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ああっ女神さまっ

「お姉ちゃんな、理想のひとがやっとわかってん!」

と妹2人に、びっくりマークつきで話した。

 

「今まで、私を理解してくれるひととか、どんな時でも味方になってくれるひととか、色々考えてきたけど…」

 

妹1(次女):「ふーん」(興味なさそう)。

妹2(三女):「うんうんっ!」(興味深々)。

私(長女):「やっとな、わかってん!」(ちょっと酔ってる)

 

私:「あのな、私のことをミューズやと思ってくれるひとが理想やわ!!」

 

妹1:「え、石鹸?」

妹2:「せっけんっ⁉︎」

 

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思わず、
「そうそう、その人の汚れを全部落とせるようにな!ってなんでやねん」
とノリツッコミしそうになりました。

 

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デート<講義

「歴史文化入門」というリレー講義で、夜間中学生が書いた「えんぴつポスター」の話をした。

 

『やる気とか元気のでるえんぴつポスター』は、拙著のなかでもとても思い入れのある本で、その本の内容を元に講義をした。

 

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『やる気とか元気がでる えんぴつポスター』金益見 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

 

現在、夜間中学校には不登校だった学生さんやニューカマーの方など、いろんな中学生がいる。

私がその時取り上げたのは、戦後の混乱期に教育を受けられなかった方々。つまり現在70~80代の夜間中学生。

その方々が綴った言葉を元に、文字が持つ力の話をした。

 

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すると、なんと!その講義をきっかけに、ある学生さんがお爺ちゃんとお婆ちゃんに会いに行ったという。

 

リレー講義だったので、私がちゃんと読んでいるかどうかの不安を抱きつつも、彼女はマークシートにその旨を書いてくれた(一文字逃さず読んでますよ)。

 

講義で1時間半、自分が体得したことを話す。

 

映画一本分の時間、若い人たちを拘束しているわけだから、とにかく全力で伝わるように伝える。

 

すると、そこから何かを受け取った学生さんが自分で自分の心や手足を動かして、新しいことに興味を持ったり、誰かに会いに行ったりする。

 

そういうことに私は感動して、また自身の身体を動かして精一杯の力で講義する。

 

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「講義中写真」

講義の時に写真を撮られることがないから、これしかないんですが、何かをものすごく伝えようとしていることは伝わるかなと(慶應のゲスト講義の時に小川克彦先生が撮影してくださった)(それにしても、なんやこのポーズ)。

 

 

私は、「ひとを動かすことはできない」と思っている。

 

この世で唯一、自分の意思で動かすことのできるものは、自分の身体だけだ。

 

「感動」は感じて動くって書くくらいだから、感動をきっかけになんらかの行動をするひとはいるだろう。

でもそれって、きっかけは何であれ、動いたのはその人自身だ。

 

学生さんは、会いに行った。

お爺ちゃんとお婆ちゃんに。

 

それを受けて私は、また背筋を伸ばした。

 

 

本音を書くと、人前で話すん、怖い。

 

みんな生きてるから、反応はダイレクトに返ってくるし、私も生き物なので言葉にできないものを常に受け取っている。

 

いつも、教室入る前に呼吸を整える。

そしてドアを開ける時、「エイヤッ!」と気を引き締めて勇気を出す。

そうやって自分を鼓舞させながら講義を続けてきたら、講義が好きになった。

 

 

後期最後の授業で、

「私の講義を聴いてくれてありがとう。こんなに好きなことをさせてくれてありがとう」

と挨拶すると、学生さんは笑ってくれた。

包んでくれるような笑い声(生き物なので、面白い笑いと馬鹿にした笑いと包む笑いの区別はつく)だった。

 

三度の飯より講義が好きだと言ったら大げさだけど、「毎日デートする」のと「毎日講義する」のだったら、毎日講義することを選ぶくらい講義が好きだ。

 

講義がもし人間だったら、結婚申し込んじゃうな!

 

講義!

愛してるぜ!

一生一緒にいてくれや!

www.youtube.com

 

 

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