いつか、またどこかで会おうよ

こんにちは、金益見(きむいっきょん)です。

晴れ時々パパに甘えたい

『うんこ漢字ドリル』を買って帰った父親に、

「お父さんのこういうとこホント嫌い!」

と小学生の娘が怒ったというエピソードが好きだ(息子なら大喜びしただろうに)。

 

電車で広告を見かける度、そのやりとりを思い出して、少し羨ましくなる。

 

私の父は、私が小学生の時に亡くなった。

そして父に溺愛されて育った私は、父にだけ強気な娘だった。

 

そんな私が、大人をなってお墓参りに行くと、心のなかで結構優しく話かけてしまう。

 

本当は悪態をついたりしたいのに。

バンドマンの彼氏とか紹介してヤキモキさせたいのに。

べろべろに甘えても受け入れられることを何度も確認したいのに。

 

あの世にいるひとにはそこまで甘えられないんだよなー。

少し取り繕った、いい報告ばかりしてしまうんだよなー。

 

 これが、多分この世からあの世までの心の距離。

 

でも、心の距離なんて自分次第でいくらでも縮められるから、今度お墓に行った時には暮石にデローンともたれかかったりしてみよう。

 

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私たちは『買われた』展

「言葉より、俺の行動をみた方がいいよ」

と、かつての恋人に言われた。

 

彼は言葉でひとに感動を与えられるひとだったので、「俺の言葉じゃなくて行動に〝ほんとう〟がある」ってことを教えてくれたのは、手持ちのカードの無意味さを見せるような、勇気あるアドバイスだったんだなあと、今になって思う。

 

例えばそれは、カードの内容ではなく、カードの使い方をみればその人がわかるということだったり、そもそも一緒にゲームに興じてくれる行為そのものから読み取れることがあるということだ。

 

 

先日、沖縄で開催された「私たちは『買われた』」展に行ってきた。

 

企画展「私たちは『買われた』展」 - 女子高校生サポートセンターColabo

 

性を売る女の子たちに共通していたのは、帰る場所がない(たとえ家はあっても、自分の居場所がない)ことと、圧倒的な承認の不足だった。

 

ひょっとしたら、彼女たちの親や周りにいる大人も、承認されたことがないのかもしれない。

経験も余裕もないから、子どもや学生を褒めてあげることができないのかもしれない。

( それでも大人にたいしては「仕方ないよね」って言いたくない)

(深刻な負の連鎖を断ち切った大人を私は沢山知っている)

 

親や先生から否定され続けた女の子たちは、心にもない「甘い言葉」に恍惚として、時に自分から自分を差し出してしまう。

 

性を売る側、買う側が注目されることが多いけど、私は非人道的なシステムを作った組織や、彼女たちが抱えている問題(貧困、いじめ、ネグレクトなど)につけこんで甘い言葉で誘導する奴等に一番嫌悪を感じた。

 

私にできることは何か。

まずは、学生に伝えることか。

 

「言葉ではなく、行動で判断すること」

まだこのことしか確信を持って言えないけど、これはホントそうだと思う。

 

 この世には、「好きだ」とか「可愛いよ」なんて言葉を、やる気のないバイト生の「いらっしゃいませ」と同じくらいの感覚で使ってるひとがいるから、要注意だよ!と女の子たちに伝えたい。

 

「かりそめの承認」「他の目的を伴った承認」は、その後にくっついてくる行動を注意深く観察することで、見極められます。

 

JKビジネスのスカウトだけじゃなく、ろくでもない男を見極める時にもこれは有効ですよ。

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色を飲む

ハイビスカスティーをみんなで作った。

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花から色をもらって作るお茶。

 

それは、赤色を飲むということ。

 

そう考えると、緑茶はみどり色を飲むことでもあったんだなあ。

 

私たちは、色んなものを身体に入れてその都度エネルギーに変えて生きているのだ。

 

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そして、色が抜けた花はジャムにするのだ。

 

 

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ここは沖縄だ

沖縄が好きだ。

 沖縄に夢中過ぎて、しばらくblogを放置してしまった。

 

まりなちゃん、こじはるくん元気か!

(私のblogを読んでくれているゼミ生は2人!)(ゼミ生は全員で60人!)

  

私は今、珊瑚舎スコーレという学校を題材に論文を書くために沖縄に滞在している。

 

先日、スコーレのゆんたくを見学した。

 

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夜間中学生が踊り、

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大学生が踊り、

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先生が歌う。

 

ゆんたくとは、おしゃべりという意味で、みんなで集まってワイワイする茶話会みたいなもの。

 

その日はボランティアの学生たちや先生も大集合して、みんなゴキゲンで、会は楽しく終わろうとしていた。

 

でも閉会の挨拶の時、校長先生のほっしー(スコーレでは、先生はみんなあだ名で呼ばれている)は、神妙な顔つきで前に立った。

 

ほっしーは、夜間中学生に

「僕を使ってください。」

と頭を下げた。

 

♪兎追いし、かの山〜

 

と「ふるさと」を歌った夜間中学生のおじいやおばあに申し訳ないと謝った。

 

「沖縄に兎はいません。日本のふるさとを歌う曲をみなさんが歌うのは僕たちのせいです」

 

ほっしーは基本仏頂面だ。

卒業生から鬼瓦と噂されてたりもする。

ほっしーはカープファンだ。

カープが負けた時は帽子をひっくり返して被っている。

ほっしーは人間より動物が好きで、先生に厳しく、学生に優しい。

 

そんなほっしーが頭を下げて、泣いていた。

 

 

私も泣いた。

ほっしーを支えている人たちも泣いてた。

 

次の日の県民大会では、稲嶺さんも翁長さんも山城さんも(こじはるくん、博治さんの元気な姿をみれたよ)、みんなウチナーグチで挨拶していた。

 

ほんと、そうだと思った。

そうあるべきとかじゃない。

それが本来なのだ。

 

守るんじゃない。

守らねばならない状況がまずおかしいんだ。

 

戻るんだ。

壊したひとは謝るんだ。

 

ここは沖縄だ。

 

ここは沖縄なんだ。

 

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失敗は、します。

失敗は、します。

 

失敗はするけど、同じことを繰り返さんことが大事。

失敗するのは当然だけど、一度失敗して後悔したことを繰り返すのがあかん。


自分がどんな時にサボったか。
どんな時に欲に流されたか。
どんな時にお化粧も落とさんと寝たか。

きちんと分析して、同じような状況を作らないようにすること。

 

失敗は学校。
失敗は先生。
失敗はチャンス。
失敗した時こそ、次の自分に進める。

 

その先でも勿論失敗するけど、同じ失敗さえしないようにしたら、どんどん進める。

 

どんどん進め、ます!

 

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言葉にひとこと言ってやりたい

「ウィンウィン」も
「ほぼほぼ」も
「マジか」
も好きじゃない。

 

好きじゃない理由はそれぞれちがうのだけど、これらの言葉が持つ共通点がある。

 

・意味よりも音に耳がいくこと
・割とどうでもいい感じで使われすぎていること
・パチンコ屋の扉が開いた時に聞こえてくる有線みたいなダサさがあること

全部、主観だけど。

 

 

「やばい」は好きじゃないわけではないけど、使った時に「使ってしまった」と思う。

 

とくに、食べ物と景色の感想を伝える時に「やばい」とつい言ってしまった時は大抵後悔する。
人にたいしての「やばい」は絶賛してる時が多いから、あまり後悔しない。

でもできれば使いたくない。

 


大して面識のないひとに
「お世話になっております」
という挨拶から始まるメールをもらうと、ギョッとする。

 

挨拶のひとつだってわかっているのに、毎回ギョッとするのは、世話を焼いてるひとが少ないからだろうか。

 

三種類くらいあった方がいいかと思って書いたので、「お世話になって〜」は冒頭の言葉たちに比べると、実は可もなく不可もない。

この言葉こそ、使ってるひとも使われたひともかなりどうでもいいんだろう。

失礼のない時短挨拶ってとこか。

 


言葉が好きだ。
好きなんだけど、言葉を使うことでこんがらがっていく関係や、言葉を知らないことで平坦になっていく思考に、言葉の力を感じると同時に一言言ってやりたくなる。

 

「おい、言葉よ。あんまり調子のんなよ!」

 

言葉が好きだからこそ意識しすぎてしまってるのかもしれないけど、時々言葉に支配されている気がして怖い。

私たちは、言葉を生む前から産まれていたのに。

 

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失われたドーナツの穴を求めて

将来の役に立つのかどうかわからないことでも、全力でやると何かが残る。

 

去年副査をした卒論で圧倒されたのは、加古川かつめしを調べつくしていた学生。

フィールドワークをまとめた資料が撲殺できるくらいの太さになってて(一瞬京極夏彦さんを思い出した)、口頭試問中も質問しながら感動してしまった。

なんかもうそれは、地域活性とかB級グルメの枠を超えて、その学生のなかに誇りのようなものをもたらしていた。

あの子の内側には確実に何かが残ったと思う。

 

 

ゼミ生に贈った歌の歌詞で、私は以下の部分が好きだ。

 

くだらないことにも本気出そう

ガンガンガンガン!

 

いっきょんゴールド「ゴールドコメント」より

 

www.youtube.com

 

 

「学生時代は、くだらないことに本気出した分だけ輝くんだぜ?」と思う。

 

でも「それをやったからといってどうなるんですか」「この勉強はなんの役に立つんですか」と聞いてくる学生に、無理強いはできない。

 

役に立つことばかりやるのってしょうもなくないか?

結果が見えてることをやるのってつまんなくない?

と思うのだけど、抱えている事情はみんな違う。

将来が不安な学生にとっては、くだらないことに時間を使っている場合じゃないのかもしれない。

 

でもやっぱり「学生にはくだらないことにガンガンチャレンジしてほしいよなー」と思ってしまう→無理強いはしたくない→でもやっぱり…

 

ということを悶々と考えていたら、新しい考えを見つけてしまった。

 

「学生にやらせるんじゃなくて、自分がやればいいんじゃん!」という発想。

 

先生が楽しそうに、全力で何かを研究してる姿を見て、学生が「先生楽しそう!混ぜてくださーい」って言ってきたら、一緒にやればいいんじゃん!

 

あー、それなら自分がまず動けばいいからすぐにできる!(自分は今すぐに動かせるけど、ひとに動いてもらうのは難儀)

 

それに学生時代に限定しなくても、「くだらないと思われていることに本気出した分だけ人生は輝くんだぜ!」と、やっぱり思う。

 

 

芝垣亮介さん・奥田太郎さんをはじめとする南海大学の先生方が出した本に触れて、この発想にたどり着いた。

  

saihatesha.com

 

学者たちが本気を出して、失われたドーナツの穴を求めて旅に出たらどうなるのか?

 

壮大で、ユーモラスで、真面目で、楽しくて、なんなんだろうこの熱量。

先生がこんな風に学問の海を泳いでいる姿をみたら、学生にもその面白さが伝わると思う。  

 

そして「やっぱり学問って心底面白いものなんだわ」と、私も今になって教えてもらった気がする。

 

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 サインもこんなに素敵だったよ

右上の穴は職人さんによる手仕事だよ

 

「なかなか夏がこないなー、辛いなー」と思っていたら、こんなところで夏が待ってたとは(とわ)!

永遠と書いて「とわ」と読むようなことはしない!と思ってきたけど、ここにきて、こんな表現を思いついた。

 


永遠に終わらない夏なんてないと思っていたけど、学問の夏は永遠(とわ)に続く!

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