なので毎日のようなものがある

金益見(きむいっきょん)のブログです

後期の授業、全部終了!

シラバスとか、会議とか、成績つける仕事は残ってるけど、ひとまずメインの講義の仕事は全部終わったー

わー

講義好きだけど、やっぱり終わりがあるからこそ輝く何かはあるなー

 

今日は、ジャーナリズム論を受講してくれた女学院生たちとインド料理屋さんで飲み食べ放題に行った。

 

帰り際に聞いた新語をメモした。

 

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「マジ妊婦!」

 

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お腹がいっぱいではち切れそうな時に、女子大生はみんなそう叫んでいたのであった!

センス!

 

 

 

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誰もいない遊園地

日曜日。

今日はこのまま布団のなかで映画をみようか。本を読もうか。

まず、フルーツを食べようか。ラーメンもいいな。

 

休日は、充実させなきゃもったいない!

仕事ができるひとは、休日の使い方もうまい!

 

みたいな考えに翻弄されなくなった。

去年忙しすぎて倒れそうになってた時に、何もしない日を作った方がいいと家族に言われてからだ。

 

時間を擬人化してみると、わかりやすい。
毎日時間と一緒にいるんだから、どんな時間と一緒にいたいかというイメージで時間を捉えてみる。


意識高い系のサラリーマンみたいな時間とずっと一緒に過ごすのもしんどいし、全部頑張るモデル兼子育てママみたいな時間も辛い。

 

できればゴキゲンでユニークでゆったりした大人な時間と一緒にいたい。

 

いつも時間と共にある。

いつも時間と一緒にいる。

生きてる限り、時間がそばにいる。

 

「時間」は貴重、残酷、金なり、味方、爆弾、お薬、流れる。

 

ゴキゲンな時間と、今日はダラダラ過ごそう(ちなみに、このブログも布団から一歩も出ずに更新中)。

 

ひとまず、今からリンゴと八朔とパイナップル食べながら布団から出ずに映画をみることに決定!

 

 

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あの子に花束を

灰谷健次郎さんの『太陽の子』を読んでいる。

素晴らしい言葉がたくさん出てきて、読み終わるのがもったいない、とてもいい小説だ。

 

昨日、サイゼリヤでゼミ生と話している時に、「『太陽の子』のどんな部分が素晴らしいか!」を紹介しようとパラパラとめくったものの、なんかすでに酔ってて(みんなで2本目のマグナムワインをあけたとこだった)全然説明できなかったので、ブログに書きます。

 

「あいつ、親に捨てられたことをうらんで、ぐれたようだけど、よう話きいてみると、あいつの親はべつに子どもを捨てたわけやない。ま、あいつの誤解やけど、それを解くにしてはあいつ、世間の奴にいじめられ過ぎとるなァ」

 

「沖縄の人間か」

 

「うん。ものごころつかんうちにヤマトーにつれてこられとるんやけど、あの世代がいちばんしんどい。おれなんか沖縄を自慢して胸はって生きとるつもりやけど、あいつは沖縄の人間のくせに自慢する沖縄を持ってえへん。そのくせ沖縄やというので、いちばんいじめられるのがあの質の人間や。ほんまに肝苦り(ちむぐさり)や」

 

灰谷健次郎『太陽の子』角川文庫(81頁より引用)

 

引用のなかに出てくる「自慢する沖縄を持ってえへん」という言葉で思い出したのは、高校時代のあるクラスメイトのこと。

 

私は長い間通名を使ってきたのだけど、自分が在日コリアンだということを隠したことはなく、むしろ私が育った地域では在日はマイノリティではなかったので、「隠す」という意識も育たなかった。

 

そんな私が高校の時に「チェサ(韓国式の法事のこと)の料理がどれだけ美味しいか」を同級生に話していた時に、ひとりの女の子に呼び出された。

 

「うちは在日で、自分が在日ってことをずっと隠してきたし、隠せって言われてきたし、自分が在日ってことがいややねん。だからそんなに堂々とみんなの前で在日のことを話題にせんといて」

 

彼女の言葉を聞いた私は、引用した本文に出てくるまさに「肝苦り(ちむぐさり)」な気持ちになった。

「肝苦り(ちむぐさり)」とは、沖縄の言葉で「胸が痛い」ということ。

 

当時の私は、自慢できる在日文化を持っていたから、堂々とできたんだ。

でも同じ在日でも育った地域、親の教育、その他諸々で、考え方もとらえ方も全然ちがう。

 

やっぱり人間はひとくくりにできないし、してはだめだ。

 

当時の私は「自分は無神経だったのかも…」と、とても落ち込んだ。でも一方で「自分のことを堂々と言うのはなぜいけないのか、それが誰かを傷つけることがあるなんてどういうことだろうか」とずいぶん考えた。

そしてそれは、今でも考え続けていることでもある。

よかれと思ってしたこと、言ったことが知らないうちに誰かを傷つけることがあるということ。

 

 

引用した文章のなかの「それを解くにしてはあいつ、世間の奴にいじめられ過ぎとるなァ」という言葉も心に刺さった。

 

物事のとらえ方や受け取り方はひとによって全然違う。

同じ場所で同じことを聞いても、マイナス視点で物事をとらえるひとは結構いる。

そういうひとを「ネガティブ」とか「性格が曲がってる」って決めつけることは簡単だけど、そのひとがそうなった原因も考えることで見えてくる新たな側面もあるんじゃないだろうか。

 

私は中学時代「夢見るユメ子」と呼ばれていた。

今でもたまに「頭のなかお花畑ですね」とか書かれたり、言われたりする。

見る人からみたら、ポジティブな天然に見えるのだろうし(全然うれしくない)、学生から見ると明るくてお手柔らかな先生に見えなくもないのだろう。

 

でも最近、お花畑の花を全部引きちぎって相手に投げつけてやりたいような衝動にかられた。

 

どんな時でもひとのいいところに光をあてるのが自分のやり方だったはずなのに、ネガティブから派生した自分勝手な思い込みで攻撃されると、相手の黒い部分に視点がいってしまって、なんかもうほんとムカついてムカついて仕方がなかった。

 

そんななか、出会った言葉。

 

「あいつの親はべつに子どもを捨てたわけやない。ま、あいつの誤解やけど、それを解くにしてはあいつ、世間の奴にいじめられ過ぎとるなァ」

 

とても失礼で無神経で乱暴なあの子の背景。

背景を考える。

背景を考えて、怒りをしずめる。

怒るのではなくて、叱る。

ちゃんと心を込めて。

 

そして、その子に落ち着いて話をした。

 

伝わったかどうかはわからないけど、引きちぎった花々ではなく、花束をちゃんと渡した。つもりである。

 

(『太陽の子』の素晴らしさは、まだまだあるので、数回に分けて書きます)

 

 

 

 

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お前たちのことだーーー!

学生が、「この漫才を見てください」と教えてくれた。

見るなら、最後まで見たほうがいいです。

www.dailymotion.com

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飯の造り

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きっと、フレッシュなおにぎりのことでしょう。

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表現が自由じゃない

書きたいなあって思うことが色々ある。

 

でも「書きたい気持ち」より、「書いたら叩かれるだろうな」って気持ちが上回ると、書けない。

これ、表現の自由が奪われてると思う。

 

在日で、女で、本名顔出しでネットで何か発信することのハードルがどんどん上がってる気がする。

 

会えばそれなりに伝えられることもあるかもしれない。

 

 でも同じ話題でも、ネットを通して発信するのは怖すぎる。

顔がみえない不特定多数、怖い。

叩かれて、言葉でレイプされるようなことは、二度と嫌なんだ。 

 

インターネットは、一生会えない(かもしれない)ひとにも、言葉を届けられる希望がある。

会ったり触れ合ったりするつながりだけではない、新しいつながりが育まれる希望がある。

でもそれは、ネットに蔓延してる「悪意があるひと」や「粘着質なひと」の負のパワーには抗えない。気がする。

 

知らんけど。

あほかと思う。

 

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いつか、またどこかで会おうよ

今日は、ゼミの2、3、4回生の合同飲み会だった。

私はあちこち席を移動しながらみんなと話していたのだけど、3回生の横を通った時に、「先生、新曲楽しみにしています」と言われた。

 

「ひょっ、ひょっとして『お肉とお酒』のこと?」と聞き返すと、彼らはほろ酔い顔でにやり。

(詳しくは下記リンク↓)

犬と布団と妹と - なので毎日のようなものがある

 

この一見なんのことか全くわからないやりとりに、「生きててよかったいつも思う!」を感じる、ゴールドコメントな日々!

(それにしても、今日の野村くんの「恥ずかしかった話」ラブリーだったな)

 

今日の飲み会で、サイコロトーク的な意味合いで、ゼミ生がこの曲を歌う場面が!
(泣きそうなん、我慢)

 

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